ファイティング原田
本名:原田 政彦(はらだ まさひこ)
1943年4月5日
63戦56勝23KO 7敗
世界フライ級チャンピオン
世界バンタム級チャンピオン
ファイティング原田ジム会長。
第10代日本プロボクシング協会の会長で現在は同顧問。
プロボクシング・世界チャンピオン会最高顧問。
日本の偉大なボクサーとして、ボクシング専門誌などで、なんどもとりあげられる人といえば、このファイティング原田でしょう!
かつて、「ガロ・デ・オーロ(黄金のバンタム)」といわれた、天才ボクサー、世界バンタム級王者・エデル・ジョフレ(ブラジル)との対戦は強烈なインパクトで、世界中のボクシングファンの度肝をぬきました。
だれもが、原田の負けと予想していたのに、あの最強といわれたエデル・ジョフレに勝ってしまったのです!
カミソリのようなジョフレのアッパーは空を切り裂き、そのカウンターであごを狙い原田の逆転劇が始まりました。
そして、見事15ラウンド戦い抜きました。
圧倒的不利と言われた中での勝利。
ジャッジの判定は2-1で原田!
会場は狂喜乱舞につつまれました。一気にファイティング原田の名前は世界に広まりました。
また、すさまじい減量も有名でした。それは、取材している記者達が、みているだけで疲れて、へたり込んでしまうくらいと揶揄されるほどでした。
有名な漫画、「あしたのジョー」の力石徹の水道の蛇口を針金で固定するという減量の話はファイティング原田のものです。
ファイティング原田の、不屈不倒の魂は若い世代へと受け継がれています。