2010年5月28日金曜日

アンタッチャブル  川島 郭志

川島 郭志(かわしま ひろし)
1970年3月27日

元WBC世界スーパーフライ級王者(6度防衛)
24戦20勝14KO 3敗1分


地味だけど、とても練習熱心で、とりわけ、ディフェンス技術に優れた選手でした。

そのディフェンス能力の高さから、ついたあだ名が「アンタッチャブル」というくらいでした。

デビューしたときはアマチュアからきたエリートボクサーとして、鬼塚勝也・ピューマ渡久地らとともに平成三羽烏と呼ばれて注目されました。

しかし、新人時代の挫折をきにスター街道からそれてしまいます。
その後に現れた辰吉丈一郎の圧倒的人気の影で人知れず努力と、戦績を重ね、見事チャンピオンに輝きました。

練習もとても熱心で常にボクシングのことを考えて生活していたようです。
今でこそ他の選手の試合でも見られますが、パンチをよけるときに、体ごとよけたり、腕で裁くよけかたでなく、クビを後ろにひねって、パンチを「殺す」というディフェンスをメジャーにしたのは川島選手です。

彼がパンチをクビをひねってよけるたびに、「おーー!」と歓声が上がったものです。

7回目の防衛戦で負けてしまったあと、視力の低下が著しいことが発覚し、引退してしまいましたが、ぜひ、またあのディフェンスが見たいと思わせてくれる、数少ない選手です。

引退後はテレビの解説や、ジムの経営などして、後進を育てています。

ボクシングの玄人のファンからは絶大な支持を受けていた選手です。

2010年5月27日木曜日

日韓子弟コンビで王者に! 畑山 隆則

畑山 隆則(はたけやま たかのり)

1975年7 月28日生

元WBA世界スーパーフェザー級
元WBAライト級チャンピオン
日本人4人目の世界2階級制覇者

29戦24勝19KO2敗3分

辰吉丈一郎がWBC世界バンタム級王座を獲得した試合をテレビ観戦でたまたま見た青年が、ボクシングの世界チャンプになることを決意して、青森から上京して、本当にそうなってしまうというある種のミラクルストーリーをもった才能あふれる選手でした。

負けん気の強さから、決して相手から逃げずにとことん殴りあう姿はほんとに勇ましく、勇気付けられるものがありました。

また、畑山のトレーナーは韓国人の柳和龍。
この二人の関係は、白井義男と、カーン博士にすこし似ているような気がしてしまいます。

両方とも第2次世界大戦では敵国、占領国だったけれど、戦後となったとき、ボクシングという素晴らしいスポーツが二人をめぐり合わせ互いに信頼しながら同じ目標に向かって歩いて行く。

そして、そこにはまるで家族のような愛情さえ生まれてくる。

スポーツは本当に素晴らしいと思わせてくれる、二人の関係です。

世界タイトルマッチとなった韓国の崔龍洙との2度の激闘や、KOキングと言われた坂本博之選手との試合は今でも忘れられません。

坂本戦は畑山いわく「最高のタイマンだった!」と本人がいうようにボクシング会場がわきにわいた世紀の一戦でした。

ライバルといわれ、ファンからは「絶対に見たい一戦!」といわれた坂本戦を逃げずにむかって、そして勝つところは彼のもっているスター性を物語っています。

減量苦から階級を上げてライト級にあげて、再度世界チャンピオンになってしまうポテンシャルの高さは見る人をひきつけてやまないボクサーでした。

おしくも3度目の防衛戦で破れ引退してしまいましたが、引退後もジムを経営したり、テレビにでたりと元気な姿を見せてくれています。

彼の闘う姿に魅了され、俳優の片岡鶴太郎さんがセコンドについてずっと応援しつづけたのも印象的でした。

彼のKO集です。ポテンシャルの高さが半端ないです!

2010年5月26日水曜日

日本人初のミドル級王者 竹原 慎二

竹原 慎二(たけはら しんじ)
1972年1 月25日生

25戦24勝18KO 1敗
WBA世界ミドル級王者

竹原 慎二といえば、テレビ番組の「ガチンコ」での人って感じで有名でしょうか。

なにがすごいの?って思っている人もきっと多いはず。
実は彼は本当にすごいことやってのけた人物なんですよ!


彼は当時日本人にとって、前人未踏といわれていたミドル級という階級で見事世界王者になったのです。
それまでの日本人には「ミドル級の世界チャンプはムリ」という神話があり、ミドル級をさけて、そのすぐ下の階級である「ジュニアミドル」で挑戦するのが一般的でした。

しかしこの広島の暴れん坊の出現により、「もしかしたら、日本人でもミドル級のチャンピオンになれるんじゃないか?」という希望がファンや、専門家の間から出始めました。

しかし、当時のミドル級のチャンプはアルゼンチンの暴れ雄牛のホルヘ・カストロ。100戦以上ものキャリアをもつチャンプに竹原は圧倒的不利、やるだけ無駄!と散々な評価を受けていました。

やっと決まった世界戦にもかかわらず、それまで竹原の試合を放映していたTBSも放映を見送り、なんとテレビ東京の深夜放送(しかも当然録画!)という自体に陥りました。

TBSとすれば、わざわざ負けがわかっている試合をゴールデンで流せない!とのことだったのでしょう。

しかし!この日、竹原の試合により大きく歴史は変わりました。
なんとチャンピオンをボディでダウンさせ、そして、見事判定勝ちを収め勝利してしまったのでした。

一夜にしてヒーローになった竹原をみて、本当にうれしくなりました。
涙もこぼれてきました。

あの酷評されていたなか、結果をだすこと、冷静に戦い抜いたことを本当にすごいと思います。
そのご防衛戦には負けてしまい、網膜はく離が発覚して引退することになりました。

あの世界戦の日、日本人がミドル級のチャンプとして、レフェリーに手を上げられていたことは、日本人の誇りです。
前人未到の世界チャンプ誕生です!

浪速の天才 辰吉丈一郎

辰吉丈一郎
1970年5月15日生
28戦20勝14KO 7敗1分

WBC世界バンタム級王者

近年のボクシングブームの火付け役であり、最も多くのボクシングファンから愛されているボクサーの一人でしょう。

言動に多くの若者や、ファンが魅了され、高額のチケットがいつも売り切れるボクサーはそうはいません。


漫画「あしたのジョー」のように、貧困の幼少期をすごし、母は幼い頃に父と離婚して、家を出る。
母親の顔をたしかしらないのではなかったかと思います。(うる覚え)

中学時代はケンカ三昧の日々をおくり、地元でも有名なワルになっていました。
そんな彼に中学時代の先生がボクシングをすすめます。

16歳で大阪帝拳ジムに入り、アマチュアからプロに転向して、あれよあれよというまに勝ち上がり、なんとプロ8戦目において、世界チャンピオンの座につきます。

その後網膜はく離に見舞われるも、いくたもの苦難をのりこえ、再度世界チャンプになったときの感動は今も忘れられません。

戦績こそ際立ったものはありませんが、記録より、記憶にのこる選手かもしれません。
もちろん、記録の方でも、具志堅用高のもつ記録をぬりかえ、至上最速の8戦目での世界タイトル奪取というすばらしい記録を保持しています。

しかし、それ以上に多くの若者や、ファンを熱く、そして感動に包んだボクサーでしょう。
また、芸能人にもファンがおおく、ダウンタウンの松本人志さんや、ビートたけしさん、岸本佳代子さんなどが熱心に応援したことも有名です。

また彼にあこがれてボクシングを始めたファンも多く、その中には実際に世界チャンピオンになった畑山隆則がいる。

今もまだ現役続行を宣言しているので、素晴らしい天才ボクサーがいつかまた復活してくれることを心のどこかで願ってやみません。


タイの若きチャンピオン、シリモンコン戦です。
これで辰吉が3度目の世界王者に返り咲きました。
感動の一戦です。
1997年11月22日 WBC世界バンタム級12回戦

2010年5月25日火曜日

沖縄が生んだ天才!具志堅用高

具志堅用高(ぐしけん ようこう)

1955年6月26日生
沖縄県石垣市出身

24戦23勝(15KO)1敗
元WBA世界ジュニアフライ級王者。


ご存知沖縄が生んだ世紀の天才ボクサーがこの具志堅用高です。
引退後の片岡鶴太郎氏のモノマネである「ちょっちゅねー」の人、ということで知っている人も多いかもしれません。

実はこの人は本当にすごい人なんですよ!
1974年にプロデビューして、わずか数年後の、1976年10月10日にわずか9戦目で世界初挑戦して、勝ってしまいます。

当時、至上最速での世界チャンピオンになりました。

その怒涛の13回防衛となり、この記録はいまだに破られていません。
しかも「世界王座6連続KO防衛」もはたしており、この記録も日本人世界王者では具志堅しかなしえていないのです。


彼の有名な逸話があります。
なぜ14度目の世界王座防衛戦で敗れたのか?との問いによくテレビ番組のインタビューでこう答えています。

いつも計量クリア後はご褒美としてスクリームをたべていた。
しかしこのときはアイスクリームがなく食べることができなかったため、そのことが頭に引っかかって試合に負けてしまった」と言っています。
ゲン担ぎ失敗ってことですね(笑)

記録にも、記憶にも残るまさにキャッチフレーズどおり「100年に一度の天才」ボクサーなのです。

これだけ偉大な選手なのに、けして、おごり高ぶることなく、常に笑顔で周りを明るくさせてくれる人物だそうです。

その証拠に彼を知っている人で、具志堅の悪口を言う人はいないと口をそろえて言います。

まさに人柄を表しているといえるでしょう。
沖縄の有名人といえば?といえば、今でこそ「安室ナミエ」とこたえるかもしれませんが、
一昔前は、9割以上が「具志堅用高」と即答していたと思います。
それぐらいすごい人物なのです。

現在は白井・具志堅スポーツジムを経営しています。
後進の育成にも励んでいます。

ぜひ世界チャンプを生んで欲しいですね!

2010年5月24日月曜日

ガッツポーズ!ガッツ石松

ガッツ石松
本名は鈴木 有二(すずき ゆうじ)。
1949年6月5日生

元WBC世界ライト級チャンピオン。
51戦31勝17KO 14敗 6分

現在はタレントとしての方が有名かもしれません。
幼少期極貧の中で育った石松は、世界チャンピオンになって、うまいものを腹いっぱい食べるんだ!と誓ったそうです。

栃木から上京して、ヨネクラジムに入り、最初の誓いどおり見事チャンピオンになったのでした。
とにかく減量に苦しんだボクサーでもあり、水が飲めないということがこれほど苦しいものなのかと、思い知ったということです。

現役時代は「幻の右」という右ストレートを武器に見事なko劇を何度もなしえています。
倒れても向かっていく姿に観客も大声で応援をしました。
清水の次郎長のような、さんど笠の独特な入場シーンも話題になり、人気を博しました。

エピソードもたくさあり、現在だれでもつかう「ガッツポーズ」はガッツ石松のガッツからきているのです。
試合に勝利したガッツ石松氏の姿をみたスポーツ新聞の記者が次の日の新聞の見出しにしたことから始まったと以前テレビで言っていました。

他には、チンピラに絡まれている弟を助けるために7対1のケンカをして勝ったなど、伝説も多くあります。

引退後は選挙にでて負けて、借金を背負うなどありましたが、俳優として、高倉健と共演するなど、不動の地位を築きあげました。
当時、ボクサー上がりの俳優はとても馬鹿にされたそうです。
それでも「いつかみてろ」とじっと耐えて、その後認められるようになったのはあまり知られていません。

2010年5月23日日曜日

侍ファイター 浜田 剛史

浜田 剛史(はまだ つよし)
1960年11月29日生

24戦21勝(19KO)2敗1ノーコンテスト
元WBC世界スーパーライト級王者
帝拳ボクシングジム所属


この人ほど、無骨で、古武士のような男を他に知りません。
まじめで、真摯であり、ボクシングを心から愛する選手でした。

「ボクサーは目が命」と(ボクシングの試合のVTR以外)テレビを見ることはほとんどなかったという逸話があるほど、ストイックな現役生活でした。

不利といわれたレネ・アルレドンドとの世界タイトルマッチはなんと1ランドKOという衝撃的なノックアウト劇でした。

両国国技館には観客の歓声が地響きのように鳴り響きました。

その後右ひざの具合が悪化して、最後まで良くならず、初防衛に失敗して引退をしました。


あまりの強打から右拳の骨を4度骨折してしまい、ボルトが最後まで抜けなかったようです。

右をかばいながらも、左ジャブを延々サンドバッグで打ち続けたそうです。
周りの人間も鬼気迫る練習にしゃべりかけられないといっていたそうです。

もし、右拳の治療などで、2年以上のブランク等がなければ、もっと偉大な記録をうちたてていたと思います。


引退後は、解説者の道を進み、WOWOWのエキサイトボクシングなどでは、いつも的確な解説で視聴者からの支持も高いです。

無骨でまじめな人柄が解説にもにじみでています。

そして、忘れてはいけない、いまだ破られていない「15試合連続KO勝ち」の日本記録保持者でもあります。

いつまでも心に残る名選手ですね。